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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)794号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人

小笠原市男

被告

乙野太郎

右訴訟代理人

山野一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告及び夫二郎は、弁護士小笠原市男を代理人として、昭和五〇年一〇月二〇日、上尾警察署に対し、被告訴人を被告とし、告訴の被疑事実の要旨を、「被告は、(一)、昭和五〇年九月二八日午前三時ころ、上尾市〇〇三丁目三番三二号の二郎方に、同人の妻原告(当五三歳)を姦淫する目的をもつて故なく侵入し、(二)、右日時ころ、同家の六畳間に就寝熟睡中の原告に対し、同女を姦淫する目的で、掛蒲団を足元の方から上へと剥ぎ取り、所持した懐中電燈で同女の体を照らし見ながら、気が付いて身を起こしながら『あつ。』と言おうとした同女の口に、自分の口を当てて押し倒し、左手にて同女の右乳房をつかんで押え付けて同女の自由を奪い、右手にて同女の下穿きを剥ぎ取り犯そうとしたが、同女の必死の拒絶にあい、その目的を遂げなかつたものである。」と摘示して告訴した。

なお、原告は、大正一〇年五月五日生まれの女子で、当時五四歳であり、被告は、昭和一二年一一月三〇日生まれの男子で、当時三七歳であつた。

(二)  上尾警察署の担当司法警察員は、昭和五〇年一〇月二〇日午前九時一〇分から午前一〇時四〇分まで二郎方及び付近一帯につき実況見分をして、同月二四日、実況見分調書を作成し、同月二八日、被告を強姦未遂被疑事件の被疑者として取り調べ、その供述調書を作成した。また、浦和地方検察庁に派遣された浦和警察署の担当司法警察員は、昭和五一年一月二一日、被告を同じ被疑者として取り調べ、その供述調書を作成した。

浦和地方検察庁の担当検察官は、昭和五二年一月二一日、浦和地方裁判所に対し、被告に対する住居侵入・強姦未遂被疑事件につき逮捕状の発付を請求し、同日、逮捕状を得たので、同検察庁の担当検察事務官が、同日午後四時四五分、同検察庁において、被告を右逮捕状により逮捕した。

同検察庁の担当検察官は、捜査を遂げたうえ、同年二月一〇日、浦和地方裁判所に対し、勾留中の被告に対する住居侵入・強姦未遂被告事件につき公訴を提起した。被告は、同月一六日、同裁判所の保釈許可決定を得て、同日、釈放された。

(三)  浦和地方裁判所は、右被告事件につき審理を遂げ、昭和五三年一〇月一一日、「被告人を懲役二年六月に処する。この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は被告人の負担とする。」との判決を宣告し、罪となるべき事実として、「被告人は、隣家に住む甲野二郎の妻甲野花子(当時五四年)を強いて姦淫しようと企て、昭和五〇年九月二八日午前三時ごろ、埼玉県上尾市〇〇三丁目三番三二号八甲野二郎方の玄関脇三畳間の南側窓から、同人方に故なく侵入し、おりから夫二郎が夜勤であつたため、奥六畳間でひとり就寝していた前記花子の足元に近付き、同女が掛けていた蒲団をまくり上げ、所携の懐中電燈で同女の身体を照らし、同女が右の気配で目覚めて侵入者が被告人であることに気付き、驚愕して『太郎さん、何するんですか』と言いながら上半身を起こしかけるや、同女に対し、『奥さんやらせてくれ』などと申し向けて同女を仰向に押し倒し、同女の上におおいかぶさつて接吻し、さらに左手で同女の乳房をつかみながら右手で同女のズロースを脱がそうとする等してその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女から必死で抵抗されたうえ大声で『人を呼びますよ、枕元に剃刀が置いてあるからほかの人だつたら殺されていますよ』等と言われたため、その目的を遂げなかつたものである。」と認定し、証拠の標目として、公判調書中の証人甲野花子の供述部分(甲第一号証の二の一、二)、同木村留美子の供述部分(同号証の三の一)及び同乙野良子の供述部分(同号証の三の二)、司法警察員作成の実況見分調書(同号証の一の四)、検察官作成の身体検査調書(同号証の一の七)、公判調書中の被告人の供述部分(同号証の三の三ないし五)、被告人の司法警察員(二通)及び検察官(二通)に対する各供述調書(同号証の一の九ないし一二)を掲記した。

そして、被告の第一、二回本人尋問の結果によれば、被告は、浦和地方裁判所の有罪判決を不服として、東京高等裁判所に控訴を提起したが、控訴棄却の判決を受け、更にこれを不服として、最高裁判所に上告の申立てをしたものの、上告棄却の判決を受けて、被告に対する有罪判決は、既に確定した事実を認めることができる。

二次に、原告主張の強姦未遂事件が発生した後、原告及び二郎が被告を告訴するに至つた経緯について検討するに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、二郎との間に長女訴外木村留美子と長男訴外甲野恵をもうけたが、留美子は、昭和四八年一〇月に訴外木村久と婚姻し、恵は、昭和五〇年九月二一日に訴外甲野文子と結婚式を挙げて、それぞれ他に世帯を持つていたので、原告は、同年九月二八日当時、二郎と二人で暮らしていた。また、原告は、○○市の呉服店に店員として勤めていたが、二郎は、東京都○区所在の訴外株式会社○○グラビアに警備長として勤め、同月二七日(土曜日)の夕方から翌二八日(日曜日)の朝方にかけて夜勤をしていたので、原告は、その間独りで過ごし、戸締りをして、二八日午前一時ごろ、奥の六畳間にマットレス一枚と敷蒲団一枚を敷き、薄手の掛蒲団二枚を掛けて就寝した。

(二)  原告は、同年九月二八日午前三時ごろ、掛蒲団が足元の方で急に剥がされたのを感じて目を覚ましたが、その時犯人から所携の懐中電燈で、浴衣着の原告の下半身を照射され、とつさに犯人が隣家に住む被告であると思い込んだ。原告の受けた印象は極めて強烈なものであつたので、原告は、瞬時に犯人が被告であることに間違いないと確信した。

(三)  犯人が家を出て行くと、原告は、同年九月二八日午前四時ころ、○○市○○○に住んでいた留美子に電話を掛けて、「隣家の被告に入り込まれて、強姦されそうになつたが、どうしたらいいの。」と相談し、次いで同日午前五時ころ、勤務先にいた二郎に電話を掛けて、「隣家の被告が家へ入つて来て、原告にひどいことをした。もう出て行つたけれども、とにかく早く帰つて来てくれ。」と伝えた。二郎は、「交替の者が来るまで帰ることはできない。直ぐ隣家の被告の妻を呼び、被告の両親を呼ぶように。」と指示した。

原告は、同日午前七時ころ、被告の妻訴外乙野良子に電話を掛けて、被告に知れないように独りで至急原告方に来るようにと申し入れた。間もなく良子がやつて来ると、原告は、良子に対し、「本当に大変なことになりました。お宅の旦那さんが、懐中電燈を持つて家へ入つて来て、私に強姦未遂の行為をしました。」と説明した。

良子は、突然のことに驚き、気が動転してしまつたが、夫の被告にその真偽を確かめる暇もなく、原告に促されて、同日午前八時ころ、原告方から○○県○○郡○○町に住む被告の母に電話を掛け、「急な用事が出来たから、直ぐ来てもらいたい。」と伝えると、原告が、良子に代わつて被告の母に電話を掛け、「実は、お宅の太郎が家に入りまして、強姦未遂をやつたんですよ。」と伝えた。

二郎は、同日午前八時三〇分ころ、自宅に帰つた。

(四)  良子が、自宅に帰つて被告に対し、原告から聞いたことの真偽を尋ねると、被告は、「酒を飲んで酔つて寝て、覚えがない。」と答えた。

被告の父は、同年九月二八日午前一〇時ころ、被告の母とともに被告方にやつて来て、被告に問い質すと、被告は、「甲野さんの家に夕べ忍び込んだと言われているが、全然覚えがない。親が謝まれば勘弁すると言つている。」と答えた。

被告の父母、被告及び良子は、同日午前一一時ころ原告方を訪ね、原告らと相対した。そこで、まず原告が、「夕べ被告に懐中電燈を持つて入られて、強姦されそうになつた。」と説明し、二郎が「よその家へ懐中電燈を持つて入るということは、原告が独りで寝ていることを知つて、計画して入つたんだろう。」と言い、原告の長男恵が、「こういうことは、お互いの話合いで持つて行つても果してどうか分からないから、うちは警察沙汰にしようと思つて、来てもらつているんですよ。」と言つた。被告の父は、「せがれはやらないと思うけど、円くおさまるなら勘弁してもらいたい。警察へ届け出るのだけは、持つて下さい。」と答え、被告は、「酔つていて分からなかつた。本当にやつたのなら申し訳ありません。すみません。」と頭を下げて謝つた。次いで原告は、「また独りになるのだし、警察へ届出ないのであれば、私は、隣家に住んでいてほしくないですよ。」と言い出し、被告の父らは、一旦被告方に引き揚げて相談した。

良子が、「近所隣りに言い触らされたり、怒鳴られたりするのは嫌だから、引つ越した方がいい。」と言つたので、被告の父らは、被告ら家族が隣家から引つ越すことと相応の慰謝料を支払うことを受諾して、二郎らとの間に示談の折衝をすることを内定し、被告の父ら四名は、同日午後零時ころ、再び原告方に赴き、二郎及び原告らに対し、「被告らは、隣家から引つ越してもよい。」と回答した。すると恵が、「ただお宅が引つ越せばいいというもんじやないでしよう。お金と言つても、おふくろに対して卑劣なことをやつていて、その代償ということではないけれども、誠意があつたら。ここでは金額は言えませんよ。」と言つたので、被告は、原告に対し慰謝料を支払うことを承諾するが、その金額については後日協議をすることとして、被告の父らは、原告方を辞去した。

(五)  留美子は、東京都上野の○○宝飾に勤めていたが、同年九月二九日(月曜日)午後七時ころ、帰途原告方に立ち寄り、原告から前日のいきさつを聞いた後、被告方に押し掛け、被告に対し、「何てひどいことをしてくれたんですか。母の代わりに殺してやりたいくらいだ。」などと申し入れた。被告は、「昨夜のことは全然覚えていません。万一入つたとしたら、すまないことをしました。」と謝つた。

恵は、同月三〇日、被告と良子を原告方に呼び、被告に対し、「引つ越すと言つても誠意を見せないので、確約書を書いてくれ。」と申し向け、その原稿を提示した。被告が、確約書を差し入れることを躊躇していると、恵は、しばしば、これを督促した。そのころには被告が原告方に深夜忍び込んだとの噂が近所に広まつていたが、被告と良子は、原告らの言いなりに振る舞つていたのでは、原告の言い分をそのまま認めてしまうことになるとして、隣家の自宅から引つ越すことを取り止めようと考えていた。

被告、良子及び被告の父は、同年一〇月二日午後八時ころ、原告方に呼ばれて行つた。そこには二郎、原告、恵、文子、留美子らが揃つていたが、原告らは、被告に対し、確約書を書くように迫り、書かなければ警察へ電話をして事の次第を通知するなどと申し向けた。約四時間の談合のすえ、被告は、「確約書」と題する書面に、「甲野二郎殿。甲野二郎と乙野太郎双方で確認した内容に就いて左記の通り行ひます。昭和五十年十月二日。転出の件について十月二十七―二十八日の日に出る事をみとめます。金額について参拾万也を支払とします。右の支払方法について銀行振込で五ケ月内として実行します」と書き、良子が、それに続けて、「昭和五十年十月二日。乙野太郎。良子」と書いて、被告と良子が、各名下・訂正部分等に押印又は指印し、恵が、末尾に、「三者立合人甲野恵」と書いて押印し、右確約書が作成された。

なお、その場で良子は、恵に対し、慰謝料三〇万円の一部として三万円を交付した。

(六)  しかし、被告は、日数が経つて冷静になるにつれ、自分が犯行を犯した覚えがないのに自宅を引き払つて他に転居しなければならないとの理屈はないと考えるようになり、妻の兄の取引先で、周旋屋を兼ねていた熊谷市会議員訴外山本某に相談した。

山本は、同年一〇月一三日午後八時ころ、原告方を訪問し、二郎、原告及び恵に対し、「実は被告のため謝りに来たのであるが、お宅は家を出て行くように言つているけれども、死刑囚に対しても言える言葉ではないでしよう。」と切り出した。二郎と恵が、「あなたは何という方で、何を言いに来たのか。」と聞き質すと、山本は、「私が責任を持つて三〇万円を払わせます。お宅に対して家を間違えて入つたと被告は言つているので。」と答えた。恵が、「あなたは話を取り違えている。話にならないから、被告を呼んで下さい。」と申し入れ、やがて被告も原告方にやつて来たが、被告は、原告らに対し、「おれは何にも知らないよ。」と答え、今までとは違つた態度を示した。原告らは、慰謝料三〇万円の支払を受けるだけでは勘弁することができないと述べ、折衝は物別れに終つた。

被告は、同月一四日、妻とともに上尾警察署に赴き、担当職員に対し、他人の家に入つて強姦しようと言われているがどうしたらよいかなどと相談し、子供の将来にどのように影響するかなどと質問したが、子供の就職などには影響が及ばないと言われて、安心した。

他方、二郎及び原告は、被告が態度を一変し、開き直つたような態度を示すようになつたのを見て、同月二〇日、代理人を通じ、被告を告訴するに至つた。

三次いで、被告の行動について検討するに、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和三七年三月、良子と婚姻し、同年一一月、肩書住所地の建売住宅を父に買つてもらつて、これに入居した。被告は、良子との間に長男由雄(昭和三九年七月三日生)と長女美子(昭和四二年一月一一日生)をもうけ、昭和四四年三月から○○市所在の訴外○○○○○○株式会社に旋盤工として勤めていた。良子は、昭和五〇年五月ころから○○市〇〇二丁目所在の大衆酒場「○○○○」に接客婦として勤めていたが、勤務の終わる午後一一時ころには何時も被告が、自家用車で良子を迎えに行つていた。

(二)  被告は、昭和五〇年九月二七日午後五時三〇分ころ、勤務先から帰宅し、良子及び由雄、美子とともに夕食をすませた後、午後六時五〇分ころ、自家用車で良子を酒場「○○○○」まで送つて行き、そのまま引き返して帰宅し、台所を片付け、入浴してテレビを観たり、良子の内職の電気時計のハンダ付けを手伝つたりした。被告は、翌朝の支度をして、六畳間に夫婦二人用の蒲団を敷き、良子を迎えに行つて帰つて来れば、直ぐに就寝できるようにした。被告は、災害等の非常時に備え、日ごろから懐中電燈を枕元の畳の上に置いて就寝することにしていたが、その日も乾電池二個入りの円筒状の懐中電燈一個を枕元に置いていた。

被告は、同日午後一〇時五五分ころ、自家用車を運転して酒場「○○○○」へ、良子を迎えに行つた。酒場「○○○○」には訴外篠崎誠ほか数名の客がいたが、良子から、「誠さんには何時も御馳走になつているので、今日は一緒に飲んでよ。」と誘われたので、被告は、酒場「○○○○」で、午後一一時ころから翌九月二八日午前零時ころまでの間、篠崎らとビールを飲み、被告は、六三三ミリリットル入りビール瓶二本分くらいの量を飲んだ。すると篠崎が、「今度はおれがおごるから、八重垣へ行こう。」と言い出し、被告は、自家用車に篠崎と良子を乗せて、これを運転し、同所から○○市○○所在の小料理店「八重垣」に行つた。

被告は、小料理店「八重垣」で、同日午前零時三〇分ころから午前一時三〇分ころまでの間、篠崎、良子、接客婦訴外渡辺信子らとビールを飲み、被告は、右同量のビール瓶一本分くらいの量を飲んだ。被告は、同所で自家用車に篠崎、渡辺及び良子を乗せて、これを運転し、途中篠崎及び渡辺をそれぞれ自宅に送り届けて、同日午前二時ころ自宅に着き、自宅の南側庭先の駐車場に自家用車を格納した。

被告は、同日午前二時一五分ころ、自分でパジャマに着替えて六畳間の二人用の蒲団に入り、就寝した。良子も、間もなく同じ蒲団に入つて、就寝した。

(三)  被告は、日ごろ酒、ビールなどのアルコール類をたしなまず、晩酌をすることもなかつた。被告は、一八歳か一九歳のころ、勤務先の会社の慰安旅行で日光の旅館に宿泊した時、酒を飲み過ぎて前後不覚となり、気が付いたときには朝になつていて、自分がどのようにして寝たのか全く思い出すことができなかつたことがあつた。

被告が、酒場「○○○○」及び小料理店「八重垣」で飲んだビールの量は、被告にとつて比較的多量なものであつたので、被告は、自家用車を運転して帰宅したものの、酔いのため、自宅に着いて自家用車を所定の位置に格納したことや寝る前にパジャマに着替えたことも、判然と思い出すことができない状態に陥つていた。被告は、九月二八日午前二時一五分ころ、パジャマに着替えて蒲団に入るや、忽ち熟睡状態に陥つた。

四ところで、〈証拠〉によれば、原告方は、東側と南側の二方が道路に面して角地に所在し、南面して玄関があり、玄関の西方に六畳間、北方正面に4.5畳の洋間、洋間の東方に三畳間、洋間の北方に六畳間、その六畳間の西方に廊下、北方に台所・便所・風呂場等があつて、原告方の西隣りに被告方が所在し、両家の境界付近には原告方のまさ木の生垣が植えられていたこと、被告方は、南側が道路に面し、玄関が南面して、玄関の西方に4.5畳間、東方に便所、4.5畳間の北方に六畳間、六畳間の東方に約六畳の洋間、洋間の北方に台所等があること、以上の事実を認めることができ、〈証拠〉によれば、原告は、犯行のあつた日、洋間の北方の六畳間に蒲団を南北に敷き、頭を南方(玄関方向)に向けて就寝したこと、その六畳間には天井から三〇ワットの円形螢光燈が吊り下げられていたが、原告は、就寝前にその螢光燈を消燈したこと、以上の事実を認めることができる。

五そこで、最も重要な問題点について検討するに、〈証拠〉及び原告の第二回本人尋問の結果によれば、原告は犯行の状況につき、「原告は、昭和五〇年九月二八日午前三時ころ、熟睡中掛蒲団二枚が足元の方で急にぱっと剥がされたのを感じて、目を覚ましたが、目を見開いた途端、光が原告の身体に当たつているのに気付いた。原告がよく見ると、犯人は、原告の足元付近に片膝を立ててしやがみ込み、懐中電燈を左胸あたりに構えて、やや下方に向け、浴衣着の原告の腰のあたりを照射していた。懐中電燈の光が浴衣着の原告の腰のあたりに当たつて反射し、反射した光で犯人の顔がはつきり見えた。原告は、犯人の顔が被告の顔であることをはつきりと見た。懐中電燈の光が犯人の顔を直接に照射したことはなかつた。とつさに原告が、『太郎さん、何するんですか。』と言いながら、起き上がろうとしたところ、犯人は、『奥さん、やらせてくれ。』と言つて、いきなり凄い力で原告の身体の上に覆いかぶさり、犯人の口で原告の口を塞いでしまつた。犯人が原告の上に覆いかぶさると同時に、懐中電燈の光は消えた。懐中電燈が原告を照射した時間は、ほんの一瞬であつた。」と供述している事実を認めることができる。

しかし、原告の右供述のうち、原告が犯人の照射した懐中電燈の光の反射光によつて犯人の顔をはつきり見たと供述する部分は、次のような理由により信用することができない。

(一)  原告は犯人が懐中電燈を照射したのはほんの一瞬であり、犯人が自分の顔を照射したことはなかつたと供述している。原告が就寝していた六畳間の円形螢光燈は、当時点燈されていなかつたのであるから、犯人の顔を照射する光は全くなかつたはずである。また、犯人が懐中電燈を左胸部あたりに構えてやや下方に向け、迎向けに寝ていた原告の浴衣着の腰のあたりを照射したことにより、腰のあたりに当たつた懐中電燈の光が四方八方に分散したことは、物理的に容易に認められることであるが、原告の浴衣着の腰あたりに当たつて反射した光が犯人の顔を照らす効果、すなわちその反射光によつて犯人の顔が照らされる度合い(照度)は、極めて小さいものであつたものと推認することができ、通常の経験則から見ても、仰向けに寝ていた原告の目の位置から、犯人の顔を識別することができるほどの照度は、到底なかつたものと認めるのが相当である。したがつて、犯人が瞬間的に照射した懐中電燈の反射光により、原告の目の位置から犯人の顔を見分けることは、到底不可能であつたものと見るのが相当である。

(二)  〈証拠〉によれば、原告は、犯行の日(九月二八日)午前一時ころ就寝し、同日午前三時ころ、掛蒲団二枚が足元の方で急に剥がされたのを感じて目を覚まし、目を見開いた途端、懐中電燈で照射されているのに気付いた事実を認めることができる。したがつて、原告の右のような就寝時刻・睡眠時間に照らせば、原告が、強姦未遂という異常な状態の下に置かれて、極度に緊張した精神状態に陥つたものであることを考慮に入れても、原告が、目を覚ました直後に、点燈中の懐中電燈の背後の暗がりにあつた犯人の顔を見分けることができるほどの視覚上の集中力を有していたと認めることは、極めて困難である。しかも、懐中電燈で照射される位置の側から、懐中電燈の光の背後の側を見る場合に、懐中電燈の光の背後にある物を見通すことが困難であることは、経験則上明らかであるところ、原告は、第二回本人尋問において、懐中電燈の光で目がくらむことはなかつたと供述しているものの、懐中電燈の光を見て、一瞬びつくりしたと供述しているのであつて、右供述に照らしても、原告は、犯行時において、点燈中の懐中電燈の背後に位置していた犯人の顔を見通すことは、不可能であつたものと見るのが相当である。

(三)  また、〈証拠〉によれば、○○市の住宅団地に住んでいた留美子は、犯行の日の前日(九月二七日)午後一〇時三〇分過ぎころから午後一一時三〇分過ぎころまでの間、母である原告と電話で、留美子ら家族が○○から千葉の方へ転居することの当否につき、話合いをしたが、その際原告は、留美子らが千葉へ転居することは絶対に反対であると述べ、泣いたりして、大変疲れているような言葉遣いをしていた事実を認めることができ、〈証拠〉によれば、原告は、留美子に対し、留美子らが千葉へ転居することには反対であると電話を掛け終わつた後、犯行の日(九月二八日)の午前零時過ぎころ風呂に入り、午前一時ころ就寝した事実を認めることができる。してみれば、右の事実から見て、原告は、九月二七日の午後一〇時三〇分ころから翌二八日にかけて、情緒が不安定な状態に陥つていたものと推認することができるところ、前示のとおり原告が、就寝して二時間後に、闖入者の行為で目を覚ましたことに照らせば、原告が、目を覚ました直後に、周囲の状況を見極めることができるほどの冷静な判断力を具えていたと見るのは、極めて疑問である。

六原告は、〈証拠〉及び第二回本人尋問において、「原告が就寝していた六畳間の西側には夏季用のカーテンが引かれていて、室内の螢光燈が消燈されていても、犯人の身体の輪郭及び顔の輪郭は、カーテンの薄明かりでうつすらと見え、その薄明かりで犯人が被告であることを確認した。」と供述している。しかし、〈証拠〉によつて認められる原告方の建物の構造及び間取り、並びに経験則に照らせば、原告の右供述は信ぴよう性がないものというほかなく、到底これを信用することができない。

また、原告は、前示のとおり原告が、「太郎さん、何するんですか。」と言いながら、起き上がろうとしたところ、被告が、「奥さんやらせてくれ。」と言つて、いきなり原告の身体の上に覆いかぶさつたと供述しているところ、原告は、〈証拠〉において、「それは被告が言つたことで、はつきり記憶している。被告の声であるかどうか見分けがついた。」と供述しているうえ、「原告は、犯行の日の前日(九月二七日)午後七時三〇分過ぎころ、原告の家の近くの道路(原告方の南方にある雑木林の東側)で被告とすれ違つた際、被告から『今晩は』と声を掛けられた。」と供述している。しかし、被告が、九月二七日午後七時三〇分過ぎころ、原告に対し「今晩は」と声を掛けたとの原告の右供述は、前記第一号証の三の四における被告の供述と対比して信用することができないし、それが被告の声であると見分けがついたとの原告の右供述は、原告が、犯人の声を聞くより前に、犯人が被告であると思い込み、「太郎さん、何するんですか。」と呼び掛けていることから見て、原告には既に先入観が生じ、その先入観に基づいて速断したものと推測することができるので、信ぴよう性に欠けるものというべきである。

そして、原告は、〈証拠〉及び第二回本人尋問において、「犯人を押しのけようとして、左手を犯人の胸のあたりに当てたとき、ザラザラと髪の毛のような感触を受けたので、胸毛ではないかと思つた。」と供述しているところ、前記甲第一号証の一の七及び同号証の三の五によれば、被告は、犯行の日のころ、比較的多量の胸毛を貯えていた事実を認めることができる。しかし、甲第一号証の一の七、同号証の二の二及び同号証の三の五によれば、原告は、昭和五二年二月ころ、担当検察官に対し、犯人には胸毛があつたと供述するに至つたが、その以前における司法警察員及び検察官による事情聴取の段階において、原告は、犯人の身体的特徴につき何か覚えていることがないかと繰り返し質問されたのに、犯人に胸毛があつたとは述べていなかつたこと、被告は、同年二月八日に胸毛の状態について取り調べを受け、そのために身体検査を受けたこと、以上の事実を認めることができるうえ、原告は、〈証拠〉において、同年二月に胸毛のことについて、「言つたということは、結局あるんじやないかと。ザラザラしていた胸毛かどうか私も分からなかつたんですけども。それが証拠になるんじやないかと。」と供述した後、続けて、「いえ、私の方から申し上げました。」と付け加えており、また、原告は、第二回本人尋問において、「犯人は、ランニングを着ていたが、夢中であつたから、ランニングをどのような状態に着ていたか覚えていない。犯人の胸毛にはランニングの上から触れたものでなく、左手で直接触れたのであつて、犯人の首に近いあたりの肌が出ている部分に触れた。」と供述しているのであつて、前示のとおり被告が、同年一月二一日に逮捕され、同年二月一〇日に勾留中のまま公訴を提起された事実に照らし合わせると、原告が犯人の胸のあたりに胸毛を感触したとの原告の右供述は、原告の自信のない、極めて不鮮明な記憶に基づくものであつたと見るのが相当であり、たやすく信用することができないものというべきである。

ところで、原告は、〈証拠〉において、「夫の二郎は酒が好きであり、酒の臭いは良く知つている。犯人については酒の臭いが全然なかつた。」と供述しているのであるが、前示のとおり被告が、犯行の日の前日午後一一時ころから犯行の日の午前一時三〇分ころまでの間に、被告にとつては比較的多量のビールを飲んでいた事実に照らせば、犯人が被告であるとする場合に、原告が、犯人に酒の臭いを全然感じなかつたというのは、極めて不自然である。また、原告は、〈証拠〉において、前示のとおり被告が、被告の父母及び良子とともに、犯行の日の午前一一時ころ、原告方を訪ねて、原告、二郎、恵及び文子と相対した際、「被告は、『懐中電燈は、私が散歩に持つて出た。二時半ころ散歩に出た。』と述べ、懐中電燈を所持していた事実をはつきり認めた。」と供述しているが、原告の右供述は、〈証拠〉と対比して、たやすく信用することができない。

七しかしながら、前示のとおり被告は、昭和五〇年九月二八日午前一一時ころ、原告に対し、「酔つていて分からなかつたが、本当にやつたことなら申し訳ありません。」と謝罪し、これを踏まえて、被告は、同年一〇月二日、原告の夫二郎に対し、確約書と題する書面を差し入れ、同月二〇日、原告及び二郎から前記住居侵入・強姦未遂被疑事件につき告訴を受けるに至つたのであるから、その経緯について検討しなければならない。

前示のとおり原告は、犯人から懐中電燈で照射された時、とつさに犯人が隣家の被告であると思い込んでしまつたのである。そこで、原告は前示のとおり、同年九月二八日午前四時ころ、留美子に電話を掛けて、被告から強姦されそうになつたと知らせ、同日午前五時ころ、夜勤中の二郎にも電話を掛けて、事の次第を告げ、原告の説明を信用してその事に間違いないものと考えた二郎から指示を受けたうえ、同日午前七時ころ、被告の妻を原告方に呼び寄せて、被告から強姦未遂行為をされたと説明し、同日午前八時ころ、○○県○○郡○○町に住む被告の母に電話で、被告が強姦未遂をしたと伝えたのであるが、その切つ掛けは、原告が犯人を被告であると認識したことによるものであり、留美子、二郎、良子及び被告の母は、同日午前四時ころから午前八時ころにかけて、いきなり原告から、被告が強姦未遂の犯人であると聞かされたのである。なお、〈証拠〉によれば、原告は、同日午前九時ころ、恵にも同じような説明をした事実を認めることができる。

これに対し被告は、前示のとおり、良子や父に対し、飲酒して酔つて寝たので原告の言う犯行については全然覚えがないと説明したが、被告は、同日午前一一時ころ、原告に対し、前示のように謝罪したのである。

ところで、前示のとおり被告は、日ごろアルコール類をたしなまない者であつたのに、同年九月二七日午後一一時ころから翌二八日午前一時三〇分ころまでの間にビール約三本分を飲み、同日午前二時一五分ころ就寝したか、酔いのため自宅に帰つた後の行動については判然と記憶していなかつたのであり、〈証拠〉及び被告の第二回本人尋問の結果によれば、被告は、同月二八日午前七時三〇分ころ目を覚まし、午前八時三〇分過ぎころ、妻から、「隣りの原告に呼ばれて行つて来たが、あんたは昨夜原告の家に入つて、原告に乱暴したということを言われて、両親を呼んでくれというので、原告方の電話を借りて、茨城の父に連絡して、来てもらうことにした。」と聞かされたこと、被告は、全く身に覚えのないことであつたが、同日午前二時過ぎに就寝した後の行動については、酔いのため記憶しておらず、原告の言うことに反駁し得るだけの裏付けとなる資料を持ち合わせていなかつたうえ、約二〇年も前の出来事であつたものの、勤務先の慰安旅行の際、飲酒して前後不覚に陥り、その時の行動を全く思い出せなかつたことがあつたことを思い浮かべて、また同じようなことを仕出かしたのかもしれないと思い過ごし、そうであるならば、両親とともに原告方を訪問して、原告の言うなりに早々に謝罪することが、事を荒立てて抗争することよりも、万事において得策であると考え、父母及び良子とともに原告方に謝罪に行くこととしたこと、以上の事実を認めることができる。したがつて、右の事実によれば、被告は、原告に対し、前示のとおり謝罪したのであるが、被告が、その謝罪によつて、原告に対し、強姦未遂行為をしたことを自認したものと見るのは相当でなく、被告は、隣人である原告らとの間の生活関係を考え、事を穏便に治めるための方便として、取りあえず原告に対し謝罪したものと見るのが相当である。なお原告は、〈証拠〉及び第一回本人尋問において、被告が、自分のした犯罪行為を素直に承認したうえ、心底から謝罪したと供述しているのであるが、原告の右供述は、前掲の各証拠と対比して信用することができない。

また、被告は、前記二の(四)及び(五)において認定したような事情の下に確約書と題する書面を作成し、これを二郎に対し差し入れたのであるが、更に、〈証拠〉及び被告の第一回本人尋問の結果によれば、被告は、良子及び父とともに、同年一〇月二日午後八時ころ、原告方において、原告、二郎、恵、文子及び留美子らと相対したが、その際、原告らは、被告らに対し、かねて交付していた原稿に従つて確約書を正式に書くようにと迫り、被告らが、「慰謝料を支払うとの約束だけにしてもらいたい。隣りの被告方から他に転居することを承諾するような確約書は書きたくないから、勘弁してもらいたい。」などと懇願したのを聞き入れず、こもごも、「確約書を書かなければ、警察へ電話を掛けて告訴する。被告が裁判にかかれば、懲役刑に処せられ、戸籍が汚れて、子供の進学や就職にも影響する。」などと強硬に申し入れたこと、そのころには噂が近所に広まつていたところ、被告は、騒ぎが大きくなつて、被告に対する非難の声が子供の耳に入ることになつては困ると考え、やむなく良子と相談して、原告らに対し、慰謝料を七八万円から三〇万円に減額してもらうこと並びに転居の日を勤務先の旅行日に当たる同月二七日及び二八日まで延ばしてもらうことを申し入れ、その承諾を得たので、被告と良子は、同月三日午前零時近くになつて、前記認定の確定書を書き、それぞれこれに署名・押印等をしたこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する〈証拠〉は、前掲の各証拠と対比して信用することができない。したがつて、右の事実によつても、被告が、原告に対する強姦未遂行為を自認したと見ることはできないのである。なお、被告の第一回本人尋問の結果によれば、被告は、当時妻良子が既に神経衰弱気味に陥つていたことなどから、慰謝料の支払で事がすむのであれば、金銭の支払を約束することによつて早期に原告らとの紛争を解決したいと希望していた事実を認めることができる。

八以上の出来事は、すべて原告が、犯人を被告であると思い込み、被告であることに間違いがないと認識したことに起因して推移したものと見ることができる。しかし、前記五及び六において認定し、説示したところから明らかであるように、原告が、犯人を被告であると認識したことは、誤りであつたものと認めざるを得ないのである。したがつて、原告はもちろん、原告から事情を聞いたに過ぎない二郎、恵、文子及び留美子が、犯人を被告であると極め付けて、被告、良子、被告の父母に対し示した言動は、すべて根拠を欠くものであつて、不当なものであつたというほかない。

すなわち、〈証拠〉及び原告の第一、二回本人尋問の結果によつてはもちろん、これらの証拠に〈証拠〉を加えて検討しても、被告が、原告主張の日時に原告方に侵入して、原告に対し、原告主張の強姦未遂行為をしたとの原告の主張事実を認めることはできないものというべきであり、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠は存在しないのである。

なお、前示のとおり被告は、前記住居侵入・強姦未遂被告事件において有罪の判決を受け、その判決は確定したのであるが、右有罪判決は当裁判所の判断に何ら影響を及ぼすものでなく、当裁判所は、右有罪判決と対比し、採証の仕方において結論を異にするのである。

次に、原告は、被告が、背信をして一旦成立した示談をぶち壊し、原告を故なく誣告罪容疑で告訴し、うそ・偽りを述べて捜査・裁判を長引かせるなどして、原告の精神的苦痛を倍増させたと主張するのであるが、前示のとおり原告が、犯人を被告であると認識したことに誤りがあり、被告が原告主張の強姦未遂行為をしたとの事実を認めるに足りる証拠がないことに照らせば、原告の右主張は失当であるというべきである。

更に、原告は、二郎、留美子及び恵らの精神的及び経済的損失がそのまま原告に反映して、原告の精神的苦痛となると主張するのであるが、原告の右主張は、主張自体において失当であるというほかない。

九してみれば、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(加藤一隆)

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